凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【65】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

⁂⁂⁂ 広州でワゴン式ルンルン飲茶 ⁂⁂⁂

 忘れられない広州での食事があった。高校生のときからお一人様行動に抵抗がなかった私だが、もちろん一人旅の食事もお一人様。中国の料理は大勢で囲んでワイワイとするもの。お一人様だと一皿のおかずでもうお腹いっぱい。いろいろな種類のおかずを試してみたくてもなかなか難しいのである。


 それが、広州ではいろいろな種類のものを食べることができる食事スタイルがある。それが、飲茶。広州のひとたちは、朝から午前中にかけてお茶を飲みながらゆっくりとこれを楽しむ。お一人様にもってこいではないか。


 もうかれこれ20年も前のことなので記憶が定かでないのだが、旅の途中に何度か通った飲茶のお店がある。広州の華僑友●酒店の2階にあった広州料理のお店。いつも朝お世話になっていたので、おそらくどこかの時点でこのホテルに泊まったんだと思う。


 私はそこで初めてワゴン式飲茶というのを体験した。朝から人ですでにいっぱいとなっているレストランの中を所狭しとワゴンが行き来する。ワゴンを動かす服務員さんとお客さんとで朝から楽しいやりとりが交わされる。この独特の食文化、またワゴンという道具の醸し出す雰囲気は一気に私の心を掴んでしまった。


 忙しそうにくるくる席を回るワゴンはたくさん積み重なった蒸籠を載せている。いろいろな点心(肉まんやシュウマイなどの飲茶の種類)がつまった蒸籠からは食欲をそそる湯気が出ている。席の近くにワゴンが来ると蒸籠の蓋を開けて中身を見せてくれる。そこで食べたいものを指させばOK.服務員は私が選んだ蒸籠をテーブルに置いてくれ、私の注文票の中のこの飲茶の欄にポチッと印鑑を押すのだ。この印は、お客様はこれを選びましたよという合図。初めはその印鑑を押す場所が金額によって異なっているのを知らなかったため、想像以上の金額を取られてしまったこともある。


 毎日食べても大丈夫なくらい餃子が好きな私は、飲茶も大好物。飲茶といえば、横浜中華街で食べることができるという認識しかなかった当時としては、ここではお手軽お気軽に本場のものを食べることができる夢のようなレストランだった。しかも美味とあって、毎回ワクワクしながらの食事だった。


 飲茶といえば、ワゴン式でなくっちゃ!という概念が私の中に出来上がったのは確かにこのときである。


〜〜〜続く〜〜〜

凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【64】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

⁂⁂⁂ よそから入ってきたばかり感たっぷりの広州の街中ファーストフード ⁂⁂⁂


 今回の広州での滞在は川沿いの沙面付近。とても落ち着いた雰囲気のある街だった。一気に好きになった。好き好き香港に近いせいか、これからどんどん香港の流行のものを取り入れていこうという気合が感じられた。

 私の目に移ったそうした動きは、食べ物にもよく表れていた。当時、北京でようやく数年前に1号店が開店したマクド●●●。マクドナルド香港では当たり前のようにどこでも見つけることが出来た。ここ広州では、マクド●●●をあたかも真似ているローカル系のファーストフード店を見つけた。

 昔からの広州の食文化に大きく影響を与えたことは間違いないだろう。ハンバーガーなど軽食が売られていた。セットメニューはどこぞのそれと良く良く似ていた。店内には簡易的なテーブルとイスがセッティングされている。まだ殺風景な内装ではあったが、リバーサイドの店舗内にサンサンと日が射していて、これまで味わったことのない、日本でもない、中国でもないような居心地に包まれた。

 まだそんなに繁盛していなかったが、数年後には日本のマクド●●●や●●タッキーのように人がいつでもいるような風景に変わっていくのだろうと予感した。ケンタッキーでもでも、それには味の改良は不可欠課題なのだが。

〜〜〜続く〜〜〜

凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【63】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

✴✴✴ホテルは安全、でも夜眠れん!!  In 広州✴✴✴


 宿で手配してくれていた中国入境ビザが出来た。中国大陸上陸の時が来た。前回の旅と同じように広州から入ることにした。大きな中国地図を見れば、広州はすぐ隣りのようだが香港から入ると、明らかに雰囲気が違っているのが分かる。大きな中国に来た!という感じ。「また広州に来たよ〜〜!!!」と心の中で叫んだ。じわじわと前年度の感動が蘇ってきた。嬉しい嬉しい


 いつものように宿探しから始める。前回泊まったあの素敵なホテルも良かったが、貧乏旅行なので、なるべく低価格のところを探す。ガイドブックを見ていると、ユースホステルなる文字を発見。しかも川沿い。安全性に問題なさそうだ。安全


 重いリュックを背負ってかなりの距離を歩いてホテルがようやく見つかった。それは白地の壁の割と清潔そうなホテル。お値段は100人民元/日。双人房(いわゆる2人部屋)しかなく、ベッド1台につき、50元ということだった。ここはドミトリーなのでそういう値段設定だったのだろう。もしも旅の途中で仲良くなった人がいて、部屋のもう片方のベッドをその人が使用するとしたら、お値段は半額となる。


 広州は気候が素晴らしく良かった。またホテル内も白い内装で固められていて清潔感たっぷり。広州と言えば、農民工たちの渦の中でジロジロと大きな目ん玉で見られ、恐る恐る通った広州駅前を思い出してしまうが、その感じとは全く別世界だった。


 それにしてもホテルの若い女性従業員は仕事が結構いいかげん。思い出したけど、当時それほど大きなホテルでもない場合、部屋の鍵は服務員といわれる人たちが開けていた。鍵ホテルのどの階にもエレベータ付近にフロントが設けられお客さんが外から戻ってくるとそのお客さんの部屋の前まで一緒に行き、鍵を開けてくれるのだった。それって24時間態勢のはず。ところがフロントに誰もいないことが多いのだ。どこをほっつき歩いているのか。部屋に入れず待たされること数知れず。呆れる


 夜は夜で遅くまでキャッキャと騒いでいる。私の部屋がフロントの真ん前だったので、うるさくて眠れやしない。こちとらお客なんじゃい。睨みをきかせに部屋のドアを開けると、昼間ひょんなことで知り合った旅人の台湾男子がフロントの若い子たちにちょっかいを出している〜!お客の方がこれじゃ、どうしようもないわ。安宿ってこういう目に多々合うよな。何が面白いんだか分からないが、そのいちゃいちゃは一晩中続いたのだった。あ〜、迷惑。困る困る

〜〜〜続く〜〜〜