凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【59】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

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新年快乐,万事如意!
(xinnian kuaile, wanshi ruyi!)

今日は旧暦のお正月の二日目。
中国式の挨拶をしました。
2017年鳥年が皆さまにとって素敵な一年のなりますこと、
心よりお祈り申し上げます。鏡もち
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当時5人家族だった我が家。

 腹の座った支持表明のもと、反対はしていたけれども最後は母に押し切られたじいそして孫を心配して何度も私の中国一人旅を止めようとしていた祖母あちゃ数か月の間ざわつく家の中にいながら、止めても無駄なのだろうということが初めっから分かっていた3つ下の弟りゅうた

 最終的には、家族皆からの支持をもぎ取ってしまった形で、当の本人はそれほど大きなこととは考えもせず、ただただ自分のしたいことをしたいだけといった理由で突き進もうとしていた。

 祖母は、どんなにこの日が来ないでほしいと願っていただろうか。今思うとひどい孫であったと猛省してしまうが、そんな祖母の切実な想いにも寄り添うことなく、私はちゃくちゃくと旅の準備を整えていた。だってどうしても行きたいんだもの、という強い意志が先立っていた。それを断行する日が刻一刻と逼った。

 そして、22歳となったその日に中国一人旅に出発したのである。スーツケース

 前日手渡してくれた、22歳の誕生日と、これから私のする無謀且つ大胆な行いに対する応援を含めた家族皆からのメッセージカードを胸に!女の子

合格しました!中国語通訳案内士試験!

1月17日(火)に大きな出来事がありました!
合格したんですuuu
国家試験の通訳案内士(中国語)の試験にです!

2015年の5月から試験勉強を始めて、2年間を費やしてとうとう合格を勝ち取りました。
今でも信じられない気持ちと、合格したという安堵感&嬉しい気持ちが混ざっています。
当日は携帯からサイトにアクセスをして、受験番号「06880」を探しました。
ありました、ありました、この番号が!サイトを閉じてはまた開き、といったことを
何度も繰り返して確かめましたニコニコ

この資格取得は、私の20代からの夢でした女
でも、当時は問題集を見ただけでぶっ倒れてしまうくらい難しく感じ、
すぐに諦めてしまっていました。

それが、15年の5月に参加した大学の同窓会で知り合った先輩が通訳案内士の資格を
持っているということで、資格取得を勧められました。東京オリンピックが2020年に
行われることが決定し、また来日する外国人も増えてきていましたので、
とても良い機会だと思い、すぐに受験に向けスタートを切りました読書

ただし、試験はまず一次試験が筆記で「中国語」「日本地理」「日本歴史」
「一般常識」四科目。それを全てクリアしたうえで、二次試験の口述試験となります。
しかも、一次試験は2年間ですべて合格しなければ、またゼロから受験のし直し。
一気に合格しないと、大変なのです。

考えただけで気が遠くなりましたが、やるっきゃない!

日本から書籍を取り寄せて、すぐに取り掛かりました。幸い、試験対策に関する
素晴らしいサイトがあったので、それを活用して独学で勉強しました。
それからの2年間、仕事をしながら勉強したので、週末はほとんどすべて
勉強に費やしました。

ブログが途中に中断したのも、実はそのためだったんです。

先月行われた口述試験の前日は緊張で、食事も喉を通りませんでした。
試験を受けに日本に帰っても自宅に帰ることなく、ホテルに缶詰状態で勉強を
していましたあちゃ

そんなこんなを乗り越えて、ようやく手に入れた資格です!
将来的には東京オリンピックも視野に入れて、今後のことを考えていきます〜!
人の役に立つように、今後も精進していきたいと思います〜や





お知らせ:
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今回は『凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【59】
〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜』はお休みします。
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凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【58】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

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先日母親とスカイプで通話していた時の話。
あんたが中国に一人で行くって言ったとき、お祖母ちゃんから行かせないでくれよ、と何度も言われたんだよ。と母。20数年前に他界してしまった祖母。決して祖母に対して私はいつも優しかった訳ではなかったが、祖母との思い出は沢山沢山ある。祖母にとっては、それはそれは可愛くない孫であったはずの私だが、中国一人旅にはさすがに心配したのであろう。
また、お父さんも反対してたよ。とのこと。そうだったかなぁ?すっかり忘れている。
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 ある日、祖母から真面目な顔をして、「凛ちゃん、中国に一人でなんか行かないでくれよ。」と言われた。とてもびっくりした。えっ?そんなに心配するのかなぁ?大正時代に埼玉で育った祖母の頭でイメージする中国はどんなものだったか、想像することはできないが、女の子が一人で外国に行くなんぞ、考えられなかったのだろう。

 実家は祖母がこの家にお嫁に来たときに建てられた古い家。その畳の座敷にドデンと置いてある、買い替えたばかりのテレビの横で急に祖母に言われたのをよく覚えている。

 祖母はがばい婆さんのような教育者っぽいことは一切言わない。そればかりか、当時教育に悪い影響を与えかねないと世間から心配されていた「●時だよ、全員集合」の大ファンで、●村けんさんが少しばかりHなことを言ったりやったりすると、顔をテーブルに突っ伏しては大笑いするのをこらえていた。そんな俗っぽい、普通のお祖母さんだった。

 また祖母はいろいろなことに興味があり、新しもの好きで、地元に初めて●ーゲン●ッツ・アイスクリームが進出してきたときに、我先にと並んで食べた人である。また、私が家で私がお菓子を一人ポリポリ食べていると、決まって「凛ちゃん、美味しそうなお菓子だね。私にもちょっとくれや。」と言ってきた。私は、これまた「や〜だよ〜。あげな〜い。」と言うと、「いつも凛ちゃんは私をそうやっていじめるんだな。」と言っていた。

 あるときには、大正生まれの祖母に「スパゲティ」という単語を私が言って、それを紙に書いて欲しいといういじわるテストをしたりもした。案の定、祖母の答えはへんてこりんで、それに対して馬鹿にしたりしていた。
 
 私は祖母には遠慮がなかったと言っていい。共働きで学校から帰ると、祖母しかいなかったので、私のひどい態度を誰も叱ることがなかった。しかも、父母共に夜勤があり、交代で夜帰って来なかったことがあったため、私はそれが寂しくて寂しくて仕方なかった。きっとそんな思いが祖母へつらくあたる原因だったのでは、と自分で勝手にこじつけるのだが。

 そんな祖母も一人旅の当日にあてたメッセージにはこう記してくれた。

 凛ちゃん、無事にかって来て下さい。「ガンバッテ」
 



⋆⋆⋆次に続く⋆⋆⋆