凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【58】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

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先日母親とスカイプで通話していた時の話。
あんたが中国に一人で行くって言ったとき、お祖母ちゃんから行かせないでくれよ、と何度も言われたんだよ。と母。20数年前に他界してしまった祖母。決して祖母に対して私はいつも優しかった訳ではなかったが、祖母との思い出は沢山沢山ある。祖母にとっては、それはそれは可愛くない孫であったはずの私だが、中国一人旅にはさすがに心配したのであろう。
また、お父さんも反対してたよ。とのこと。そうだったかなぁ?すっかり忘れている。
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 ある日、祖母から真面目な顔をして、「凛ちゃん、中国に一人でなんか行かないでくれよ。」と言われた。とてもびっくりした。えっ?そんなに心配するのかなぁ?大正時代に埼玉で育った祖母の頭でイメージする中国はどんなものだったか、想像することはできないが、女の子が一人で外国に行くなんぞ、考えられなかったのだろう。

 実家は祖母がこの家にお嫁に来たときに建てられた古い家。その畳の座敷にドデンと置いてある、買い替えたばかりのテレビの横で急に祖母に言われたのをよく覚えている。

 祖母はがばい婆さんのような教育者っぽいことは一切言わない。そればかりか、当時教育に悪い影響を与えかねないと世間から心配されていた「●時だよ、全員集合」の大ファンで、●村けんさんが少しばかりHなことを言ったりやったりすると、顔をテーブルに突っ伏しては大笑いするのをこらえていた。そんな俗っぽい、普通のお祖母さんだった。

 また祖母はいろいろなことに興味があり、新しもの好きで、地元に初めて●ーゲン●ッツ・アイスクリームが進出してきたときに、我先にと並んで食べた人である。また、私が家で私がお菓子を一人ポリポリ食べていると、決まって「凛ちゃん、美味しそうなお菓子だね。私にもちょっとくれや。」と言ってきた。私は、これまた「や〜だよ〜。あげな〜い。」と言うと、「いつも凛ちゃんは私をそうやっていじめるんだな。」と言っていた。

 あるときには、大正生まれの祖母に「スパゲティ」という単語を私が言って、それを紙に書いて欲しいといういじわるテストをしたりもした。案の定、祖母の答えはへんてこりんで、それに対して馬鹿にしたりしていた。
 
 私は祖母には遠慮がなかったと言っていい。共働きで学校から帰ると、祖母しかいなかったので、私のひどい態度を誰も叱ることがなかった。しかも、父母共に夜勤があり、交代で夜帰って来なかったことがあったため、私はそれが寂しくて寂しくて仕方なかった。きっとそんな思いが祖母へつらくあたる原因だったのでは、と自分で勝手にこじつけるのだが。

 そんな祖母も一人旅の当日にあてたメッセージにはこう記してくれた。

 凛ちゃん、無事にかって来て下さい。「ガンバッテ」
 



⋆⋆⋆次に続く⋆⋆⋆

凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【57】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

母からの重みのある言葉がその日から頭にこびりついた。必ず帰国しなければならないのだ。心にそう誓ってから、冬の中国旅行における準備に入った。

 その母からの言葉↓↓↓↓↓
「お母さんはもう腹をくくったからね。中国に一人で行って凛子に何かあった時、親戚からどんなことを言われるか分からないけど、腹をくくったから、凛子もそのつもりで行ってきなさい。」

1.計画表を作った。
  およそ何日ころに中国のどこにいるか表を作って示した。今回は1992年12月17日に出発して、1993年1月10日帰国の計25日の中国旅行と決定!(今から24年前よ〜!)!!

2.中国地図を作った。
  予定訪問地へのルートを記した手書きの中国地図を作った。当初の予定では、香港→広州→蘭州→西寧→蘭州→成都→昆明→広州→香港となっていた。ところが、実際は全く違うルートになってしまった。びっくり

3.在中国日本大使館や香港総領事館、および大学教授の連絡先をまとめた。
  私に何かあった時の家族が連絡できる方法をまとめた。宿泊場所は全く決めていかなかった。(かなりのチェレンジャー〜!)キラほし

4.防寒服を準備した。
  冬の中国がどのくらい寒いのかあまり想像がつかなかった。とりあえず、母と一緒に池袋にある西口寄りのデパートで大学生としては少しばかり高級な真っ黒のダウンジャケットを買ってもらった。すごく手触りがよくて、暖かくて、このような無謀な旅の間このジャケットが必ずや私を守ってくれるだろうと確信した。ハート

5.旅行資金を準備した。
  前述の山手線大崎駅にあった日本語学校アルバイトで貯めたお金を掻き集めた。フライトチケットはすでに購入済みだったので、それを覗いて手元に20万円ほど用意した。そのうち、数万円は日本の銀行でトラベラーズチェックに変えておいた。万が一、現金を盗まれたり、なくした場合のために。20万円の中で、移動代、宿泊代、食事代などなどを捻出するわけだが、なにせ大学生の貧乏旅行。このくらいのお金で予定訪問地には行けると計算していた。しかし〜!旅が始まって数日ですでに、お金が足りない!ということを認識するのだった!果てさて、この先どうなることやら。冷や汗

凛子的簡歴(凛子の履歴書) 【56】 〜大学卒業記念 冬の中国自由旅行〜

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皆さま、明けましておめでとうございます。
本年も皆さまの益々のご活躍とご多幸を北京よりお祈りしております。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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〜〜前回のつづき〜〜

  大学生になる前まで、家族から自分の進路や行いについて、あぁしたほうがいいとか、こうしたらいけないといったことを言われたことがなかった。しかも、今回の中国一人旅のことも両親から特別に反対をされなかった。
 しかし、ただ一点だけ、母親に言われたことがある。

 「お母さんはもう腹をくくったからね。中国に一人で行って凛子に何かあった時、親戚からどんなことを言われるか分からないけど、腹をくくったから、凛子もそのつもりで行ってきなさい。」だった。

 この言葉を聞いたとき、私がこれからやろうと思っていることはこんなにも大きなことだったのだと認識した。それまでは、正直に言うとあまり深く考えていなかった。でも、母親に腹をくくらせるくらいのことなのだ、それならば絶対に無事に帰ってこなくてはいけない、と改めて心に強く強く誓ったのを今でも覚えている。


⋆⋆⋆次に続く⋆⋆⋆